昭和44年02月04日 夜の御理解
例えばあのう胃の弱い人が、胃にいろいろもたれますとすぐに胃酸を呑んだり、とにかくぐすっとこういうものが欲しがりますように、私達が日常生活の上にも、どうも胸がさばけない様な事があります。又は胸にもやもや感じたりする様な事がもう沢山あります日常の上に。そういう時に例えばぱっとこう言うてしまゃ、気持ちがすうっとする様な時があるし、してしまえば気持ちが楽になるといったような事があるですけども、それは丁度そのう胃のつかえが、胃酸か何んかでぐすっとさせる様なもんで。
その胃が健全になるという事には決してならないということですね。ですから胸にもたれるとか、そのう胸にもそのうもやもがあるとか、ぱぁっとこうその人にまぁ凝りを積ませるも何んもない、自分の気持ちさえさっぱりすりゃええというで、言ったりするようなことでは何時迄たっても胃が悪いようなもんです。いつまでたっても胃酸を呑まにゃならんそれでは。ですからあのそういう時にちょっと辛抱させて頂いて、少し体を動かして運動するとかね。
そしてこれが自然とそのもたれが治るように、自分の心のそのもやもやとか、いわゆる金光様金光様でそのう自分を見極めさせてもらう事に、又はその事を信心で取り組まして頂く事によって、心の胃腸がより強うなるという事をね思うんです。もう昔ぁし「うるさいと思えど要る子ばかりなり」といったような御教を頂いた事がありますね。うるさいと思えど要る子ばかりなり。例えばそのう子供という様な時中に、私共日常生活の中には、もやもやというような事もですね。
それは実はいうたら私の胃を健全にする為に必要なものなんです。ですからそれをそう生かさなければですね、あのうおかげ頂かれん頂けんね、信心も育たんあ。豊かにもならんね。ただもやもやするからもやもやした事言うたり、態度に出したりして、自分気持ちは良いかも知れんけれども、これではもう絶対信心は育ちません。もちろん一人で凝りを積ませなければなりません。自分だけはがすっとしてよかろばってん、それじゃ本当に胃酸を呑むようなもので胃酸、いわゆる胃酸の害と言うものですね。
あれは良くなすものでなくて、胃のこなれをよくする為にまぁ過激まぁ過激なと言えりゃせんけども、そういう例えばんならあのう重曹の様なもの沢山に使ってあるから、べすっという事だけはべっとなるけれどもね、それでは本当に胃病持ちになってしまわにゃなりません。それよりもそれを実際に体を動かして、そしてこのもたれがすきっとしたという様なおかげをですね、心の上にも頂かねばいけん。信心の稽古という事はもう大した難しい事言わんでも、そんな事から取り組んで行く事だと思うんですよね。
金光様っと、思わせて頂きよったら胸がすきっとしたと。そういう事繰り返して、しかもそういう事いらん事の様だけど、実をいうたら胃を健全にする為には、とにかく要る子ばかりなのです。必要な事ばかりなのです。必要だからこそ神様がそういうもやもやも、やはり起こさせて下さるのですから、それを分かってそれを受けて頂かせてもらうという信心。そこへね信心のお育てはそこにあるのです。詳しい事が分かって行く事が、信心が育って行きょる事では決してないという事ですね。
どうぞ。